湖上に暮らす―水の民インダー族の文化とその未来―
インレー湖に活気を取り戻そう。ミャンマーの何世紀にも渡る伝統を守るために
「ビルマの竪琴」をあなたは知っているだろうか。第二次世界大戦時代、ビルマ(ミャンマー)を舞台に、音楽やインコの言葉を交え、日本兵が戦争の残酷さと向き合う、哀しくも美しい物語だ。日本で生まれたこの物語を教材に扱う学校も、きっとまだあるだろう。
ビルマ――1989年、当時の軍事政権により、国外に対する「Burma(日本語でビルマ)」という言い方を「Myanmar」に変更することとなり、現在ではミャンマーという国名で広く知られている。
ミャンマーで特に有名なのは、国中に広がる黄金の仏塔・パゴダだ。強い日差しに照らされ、眩しく輝くパゴダの美しさからミャンマーは「黄金の国」と称されることもある。
シャン高原に、インレー湖と呼ばれる湖がある。湖の東西には山々が連なり、とても自然豊かな地域だ。
葦などの水草が繁茂する青く広い湖の、まさにその上で生活する人々がいる。湖上に家を建て、車の代わりに舟で移動し、商いも湖上で行う……昔から変わらない生活様式がいまでも残っているのだ。
ボートの立ち漕ぎで釣りをする姿、僧院から聞こえてくる経典の声に合わせて祈る姿、小さな家の中で機を織る姿――インダー族を中心に、様々な民族が長年この地で協力し合い、生きてきた。
この自然豊かで長閑な風景を持つインレー湖は、ミャンマーを代表する観光地の一つであり、インレー湖に活気を呼ぶ観光業は、そこで暮らす村人たちの生活に大きく関わっている。
Photo Credit: Ye Win Nyunt Inle
私の名前はカウン・ミャッ・スウィン。インダー族の子孫だ。
祖父も父もインレー湖で生まれ育ったが、私はインレー湖から約30kmほど離れたタウンジーという都市で暮らしてきた。タウンジーはシャン州の政治と経済の中心地ということで非常に大きな賑わいを見せる都会だが、家業の関係で何度も訪れてたことのあるインレー湖の雰囲気に、子供ながら魅了されてきた。
私はタイの大学で工学の学位を取得した。周りでは大手企業への就職を望む友人が多かったが、私自身はコーポレート・キャピタリズムを嫌い、企業には就職したくなかった。むしろ、幼い頃から触れてきたあの牧歌的な風景――湖の上をゆったりとボートが行き交い、自然の中で自分らしく仕事をする人々と共に、人生を過ごすことができたなら、どんなに素晴らしいことだろうと考えていた。
そこで、私は原点であるインレー湖に戻り、お土産品を扱う小さなお店を開くことにしたのだった。
――2020年3月20日、COVID-19の蔓延を防ぐため、主要な観光地をすべて閉鎖するロックダウンがミャンマーでも始まった。あれから6ヶ月が経過した今も、規制が解除される気配はない。
インレー文化のシンボルである布織物や、銀細工、そして「Cheroot(チェルート)」と呼ばれる両切り葉巻事業など、伝統事業のほとんどが埃を被ってしまっている状況だ。仕事がなければ明日生きるためのお金を得ることが出来ず、家族を養うことも出来ない。そのため、人々は伝統技術から離れ、他の仕事を見つけることが余儀なくされている。また同時に、観光業に従事していた人々も、ホテルやレストラン、ボートタクシーなどの仕事を失うこととなった。その結果、多くの村人、特に日々の収入で生活していた人たちにとって、毎日の生活が困難な状況に陥ってしまった。
人々の陽気で平和な声であふれていたインレー湖が、今や悲しみや不平不満の声に包まれている。
その声が私に届いた時、迷うことなく、私は決心した――
「インレー湖のかつての豊かさを取り戻すのだ」と。