日本国技“大相撲”を支える、日本屈指のわら細工匠集団『わらむ』/長野県飯島町
SPIN(スピン)|地球の才能を育むストーリーファンディング
日本で唯一、国技「大相撲本場所」の土俵を製作することができる『わらむ』
日本国技大相撲で使われている、大きな大きな力士たちの激闘を支えている土俵。
それを作っているのは誰なのか、想像すらしたことがなかった。
言われてみれば確かにそうだ。
地面から勝手に生えてくるわけではなく、誰かがどうにかして作っていることには違いない。
その誰か…こそ、日本で唯一、大相撲本場所の土俵を作ることが許されている株式会社わらむの匠集団だと知ったのはつい最近のことだ。
死を間近に感じた時に救ってくれたのがお米だった
株式会社わらむ(以下、わらむ)があるのは、長野県飯島町。
中央アルプスと南アルプスの双方を見ることができる人口1万人弱の、絵にかいたような田舎町だ。
筆者が住むまさにその町なのだが、大相撲の本場所の土俵を唯一日本で作ることができる会社だということを知るものは多くないように思う。
わらむが本場所の土俵を作るようになった経緯を聞いた。
「最初は騙されているのかと思った」と代表取締役の酒井裕司さんは話し始めた。
土俵の話にたどり着くまでに壮大なドラマのような話が展開された。
*****
酒井裕司さんは上伊那郡飯島町の隣町である下伊那郡のご出身。
地元の高校卒業後、日本大学へ進学した。
大学時代は『アメリカ横断クイズに出場したい!』という自身の野望を叶えるために探検部へ入部したが、残念なことに番組が終了。それでもと思い、同じ思いの友人と2人で渡米し、サンフランシスコ~N.Y.まで自転車で走破した。
その翌年、今度はインドのデリー~カルカッタまでの1800㎞を自転車で走破。その際に、冗談ではなく死ぬかもしれないという経験をしたそうだ。
1200㎞を走った頃、インドの水や環境が合わず見る見るうちに体調を崩し痩せていく自分がいた。死を感じた酒井さんは「最期の晩餐は白米にふりかけがいい…」と近くの飲食店に入り白米を注文。旅のお供にと持参していたふりかけをかけた白米を食べたところ「…美味しい…!まだ死ぬわけにはいかない…!」と気力と体力を回復させ、残り600㎞を無事走り切り帰国した。
帰国してまず向かった先は実家の長野県。バスから見える田んぼの風景に心から安堵したという。
「本当に米に救われる経験をしました。そこで、将来は米に携わる仕事をしようと決意したんです。」
大学卒業後、すぐには米に関わる仕事には就かなかった。実家は農家ではなく、自身もほとんど未経験だったからだ。
しかし、2社目の勤務先となる飯島町のとある企業での勤務期間中に転機が訪れる。町おこしに興味を持ったのだ。
自身の趣味であったマラソン大会と、「飯(めし)の島、飯島町(いいじままち)」という名前から着想を得て、お米にまつわるマラソン大会を企画しようと思いついた。
継続的かつ効果的な町おこしにするならばオリジナリティを…と調査を重ね、飯島町がかつて“伊那県”と呼ばれる幕府直轄地域であったことから、飯島には年貢が集まっていたに違いないと考えた。…年貢=米俵… 米俵マラソン!!!
この《米俵マラソン》のひらめきは、運命の歯車が大きく動いたまさにその瞬間であったと後に悟ることとなる。
原動力は自分の閃きと誰かに怒られるという恐怖心
土俵制作オファーにつながる《米俵マラソン》
さて。米俵マラソンの開催は閃いた。
早々に募集もかけた。なんと、50名もエントリーがあった。
初回にしてはまずまずだ。
そうしたら、主役となる米俵を準備せねば。
そう思い、近所の米農家さんに「米俵を作ってほしい」と依頼したところ、秒で断られた。
「普段から稲を扱っている農家さんだったら米俵は普通に作れると思っていたんです。」
ところが、だ。わら細工など作れる米農家さんはいないという。
大会は企画済み。既に50名のエントリー。
…ヤバイ。
そうだ、通販で買おう!
早速パソコンを開いた。
1俵9000円と表示されていた。
大会参加費用は2000円。マイナス7000円。
7000円×50名… 完全なる赤字。どうしよう、嫁に殺される。
そこでまた閃いた。「自分で作れば無料だ!」
すぐに、たまたま近所にいた米俵を作ることができるという師匠を探しあて弟子入り。
米俵(わら細工)を作る技術を習得するのも、米俵を作るのも、古事記から存在するわらの歴史を学ぶのも楽しかったという。
一緒にわら細工を作っている師匠が漏らした「わら細工を継承する人がいない」というぼやきに
「わら細工を絶やしたら歴史に怒られる…」と感じ、わら細工サークルを作った。
わら細工をつくるサークル運営にも経費が掛かる。しかし、ここでサークルをやめたら歴史に怒られる。
その問題を解決するためには、わら細工を産業化し利益が出せる体制を作ることが必要だ、と考えた酒井さんは脱サラし会社を興した。それが株式会社わらむだった。
これですべての問題が解決したのか…と筆者が安堵する間もなく酒井さんは続けた。
「嫁に内緒で脱サラしたんです。そうしたら当然嫁にバレて怒られ、一生おこづかい無しというルールが制定されました。」
…私は言葉を失った。不覚にも、奥様に心から同情してしまった。
しまった、そうではない。
そこまでして自分の閃きに忠実な酒井さんを褒めたたえるべきだ。
しかしなぜだろう、ライターという立場と嫁という立場で揺れる自分の気持ち。
とにかく言えることは、
酒井裕司という人間は、何かに怒られるという恐怖心が動機になり得るし、閃いたら実行するまで止まることができない性分なのだ。
写真:「青い目のわら侍」として有名な英国出身マイケルさんと㈱わらむ代表取締役 酒井さん
その後も、誰かに怒られることが動機となる人生談は続いた。
第2回米俵マラソンに際しては、個人で国道を止めるという企画を先に通してしまったため警察にしこたま怒られ(通常国道占有は法人格でないとできない上に、相当の手順と許可が必要となる)、25回警察署に通い何とか許可にこぎつけた。『(個人企画で国道占有許可を出すことは)次はないぞ!』と警察署長に言われてしまったために、第3回目以降のマラソン大会のために命がけで法人格を維持する以外なくなり、必死のアルバイト生活が始まった。
3時間の睡眠時間でアルバイトと米俵を編む練習を繰り返す生活、
米俵マラソンが飯島町の町おこしになることは間違いないという確信、
町おこしに繋がり、地域にとっての有益性があるからと警察署長を説得した責任感、
わらの歴史を絶やしてはいけないという使命感、
ますます有名になり、必要となる米俵の数が増えていく米俵マラソン、
企業として存続させなければならない焦燥感、
家族には迷惑をかけないという妻との約束とおこづかいなし制度。
背水の陣とはこのことだ。
全ての始まりとなった第1回米俵マラソンから5年の月日が経ったある日、
ついに勝利の女神がほほ笑むこととなる。
写真:藁を編む酒井さん
ドッキリではなかった、土俵を作ってほしいというオファー
2018年6月末。その電話は突然だった。
「土俵は作れるか?」
大相撲の土俵手配を仕切るフィクサーからだった。
酒井さんは「何かのドッキリではないか…?」と半信半疑だったのが正直なところだったと話す。
電話の主は言う。「7月の名古屋場所を見に来い。」
7月、自分は騙されていると疑ったまま名古屋へ行くと、関係者入口から通された。
その時に初めて、あの電話が本気のオファーだったとわかる。
「当時の大相撲の土俵を担っていた職人さんが高齢で体調が悪く、このままでは11月場所の開催ができないという、歴史的にも危機的状況だったそうです。」
なぜ、大相撲関係者が酒井さんを見つけることができたのか?
その鍵はまさに、突然の閃きにより始めた《米俵マラソン》だった。
「その方(大相撲関係者)も、米農家であればわら細工や土俵は誰でも作れると思っていたそうです。が、どれだけ探しても作れる人が見つからない。そこでインターネットで検索したところ“米俵マラソン”がヒットし、私に電話をかけるに至ったそうです。」
当時、マラソン大会のための米俵を作りまくっていた酒井さんだが、土俵となれば話は別。土俵に関しては全くの知識もなければ当然未経験。秋巡業で実際に土俵を作ってみるという経験を積みつつ、電話でもやり取りをしながら土俵製作の技術を習得し、同時に自社の土俵職人を育て、会社の経営を成り立たせるために6個のアルバイトを掛け持ちしながら2日に1回の睡眠。そうしてようやく11月の本場所を迎えられた。
「あの当時を思い出すと今でも涙がでます。」
春日大社のしめ縄も手掛ける株式会社わらむ
地元新聞の一面で「国技を支える企業」の文字が躍るその頃、更なるオファーがあった。
かの有名な春日大社の担当からだった。
春日大社のしめ縄は巨大だ。
現代ではその大口径のしめ縄を作ることができる職人はいないらしい。
春日大社の3000社を超える膨大なネットワークを使ってもなお、しめ縄職人を見つけることができなかったそうだ。
「春日大社の担当さんが仰ってくださったのが、100年、200年と続く会社にしてください。ということでした。」
写真:春日大社のしめ縄
土俵もしめ縄も、ある特定の条件を備えたわらでなければならない。
そのわらこそ、わらむが生産する奇跡の《勝藁(かちわら)》
国技「大相撲」の土俵は、どんな藁でもいいというわけではない。
土俵を作るためには長さや耐久性が必要であり、土俵として成り立つ藁を育成している農家さんも稀なため、余計に土俵技術を継げる農家さんは限定的なものになってしまう。
わらむが栽培し取り扱っているのは、まさにそれらの条件を備えた“勝藁(かちわら)”である。
勝藁とは、わらむが手掛ける藁の総称で、倒れない藁のことを指す。そのうちの1種が1500年前からあると言われる在来種「白毛餅(しらけもち)米」のわらの別称で、信州伊那谷にだけわずかに残る、品種改良の手が加えられていない貴重な古代米だという。
地に倒れにくい力強さ、太さと長さ、しなやかさというその稲の特徴をもってしてでなければ、土俵も大しめ縄も作ることができないのだ。
なぜ「勝藁(かちわら)」という名称なのか。
相撲界では負けることを「土が付く」と言い、負ければ「黒星」、勝てば「白星」が星取表に記される。
白毛餅米は倒れて土が付くことが少ないうえに、名も「白毛」。さらに、粘りがある餅米。
「勝負強く、白が付き、粘り強く縁起が良いわら」として“勝藁”と名を付けた。
白毛餅米は、伊那谷にしか残れなかった。
背が高いがゆえに、その強さとしなやかさがあっても風や台風などの自然にはなかなか勝てなかったからだ。
伊那谷はその名の通り山に囲まれた山。その山々によって風が和らぐ。台風の進路さえ遮る猛々しい山々に守られた谷だからこそ、風の威力に負けることがなく白毛餅米が生き残ることとなった。
それが何の因果か、4世紀ごろには誕生していたとされる見方もあるほどの歴史を持つ大相撲の土俵が、伊那谷だけに残る古代品種の白毛餅米を扱っているわらむへ戻ってきた。
こんな偶然あるのだろうか。筆者には、まさに歴史が呼んだ奇跡だと思えてならない。
写真:勝藁の田植え
耕作放棄地対策、農福連携、わら細工の伝統工芸品化…
オリジナリティを追求しつつの進化は止まらない
先に記述したように、酒井裕司という人は、何かに怒られるかもしれないという強迫観念、純粋な好奇心、自分の閃きが動機となり得る人だ。
桑製品も然りだという。
かつては日本有数の養蚕業産地と言われた伊那谷には、蚕の食料となる桑畑が数多くあった。今ではそれらは耕作放棄地として荒れてしまっているのが現状だ。
そこで酒井さんの何かしらの動機センサーが作動した。
桑が面白そうという純粋な好奇心なのか、養蚕=天敵のネズミを駆除する猫神、という閃きなのか、今度は桑畑か養蚕の歴史に怒られるとでも思ったのだろうか、はたまた昔からあるものが無くなっていくのか耐えられないという性分なのか。
何にせよ、酒井さんの標的…ならぬ注目を集めた桑はかくして、無農薬の桑茶や桑の実ジャムとして命を吹き込まれ商品となった。
もはや微笑みではなく爆笑している勝利の女神は、次々と酒井さんの元へ色んなご縁を運ぶのだなぁと、次から次へと展開されるお話に頷き続けた。
写真:わらむの猫つぐら。養蚕の天敵である鼠を退治するとして猫は“猫神”とされ、猫神を祀った場所が今も残る。
酒井さんに今後の夢や展望を聞いた。
まずは、わら細工を現在の民芸品から伝統工芸品に格上げし、わら細工で生計を立てられるようにすること。
わら細工は単純な作業の繰り返しが多く、B型作業所の方や1点集中が得意な、いわば団体行動を苦手とし引きこもり傾向のある方がその才を発揮するという。
わら細工を伝統工芸品として格上げすることで、その方たちが日本の伝統工芸を担う国宝級の職人へと昇華する。わらむの作業場には実際に、中学生か高校生くらいの若い方も作業をしており、大相撲は既に彼らがいないと成り立たないらしい。
さらに、わら細工で生計が立てられるとなれば、より多くの方がわらを活用すべく、耕作放棄地となっている場所でわらを育て始めるという流れになるかもしれない。さらに、伝統も後世に引き継がれることとなる。
わら・耕作放棄地・1点集中が得意という個性。それぞれの特性を生かした循環を起こしたいと語った。
次の夢は?と聞いた。
次の夢は、おこづかい制度の復旧と、家族から少し尊敬されることだという。
自分は過労であと10年は生きていないと、冗談とも本気ともとれる表情で話す酒井さんの顔を見ながら、お小遣い制度の復活よりもわら細工が伝統工芸品に格上げされることの方が現実的だなぁ、なんてことを考え、勝利の女神に酒井さんの心と身体の安寧を祈るばかりの気持ちになった。
とにかく、進化と深化が止まらない株式会社わらむ。
次はどんな神がほほ笑むのか、今後も目を離せない。
ライター:宮下愛
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■農家さんについて
株式会社わらむ
本社/工場〒399-3702長野県上伊那郡飯島町飯島1482-3
代表 酒井裕司
0265-95-3315
info@kachiwara.com
■商品について
<わら>
・わらの色が青いのは、稲穂が実る前の初夏に刈った藁です。
材料としての青いわらを確保し保存してその年の分を賄います。青藁の爽やかな香りをお楽しみください。
飾ってよし、香りよし、縁起よし。
使用されている青藁は、自然な緑色は時間と共にうっすらと稲藁色へ変化していきます。
<お米>
・孫生(ひこばえ)とは、一度刈り取った後の稲の株からまた生えてきたお米のことを言います。本州では大変珍しい栽培方法で、米の品評会でも高得点を獲得したことがある美味しいお米です。刈り取った後に自然の力で生えてくるお米で縁起が良いともされており、稲の生命力を味わえます。
・青藁刈り取り前に農薬1回散布、化学肥料不使用。孫生栽培期間中は農薬・化学肥料不使用。
・お米は色彩選別機にかけていますが、完璧に選別出来る訳ではありません。まれに黒っぽいお米や籾付きのお米が残っていることがあります。何卒ご理解いただきますようお願いいたします。
■発送について
・発送商品の発送は準備が完了次第となります(ご注文後、10日以内の発送)。
・現地受け取り商品をご購入下さった場合でも、システム上ご住所の入力が必須となります。
現地受け取り商品は発送されませんので、受け取り日時をお客様と農家さん直接お打合せの上、商品をお受け取りください。
《受け取り日時に関する連絡先》
株式会社わらむ info@kachiwara.com
■発送商品のお受け取りについて
・お客様がご不在の場合は不在通知でご連絡いたします。お届け日時を再度調整いただき、商品をお受け取りください。
・不在通知に記載の連絡先にご連絡いただけない場合や、お客様のご住所が不明の場合には、商品が自動的に当社へ返送されます。
・再送をご希望の方は、そのむねご連絡ください。受け取りができなかった場合も送料は発生し、当方で負担しております。その分の送料のお振込みが確認でき次第、再発送させていただきます。
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