地球を癒す、里山の優しさと知恵を世界へ!

地球を癒す、里山の優しさと知恵を世界へ!

イギリスから来たアダムが、日本の村と世界をつなぐ

アダム・フルフォードが24歳で初めてイギリスから来日した時、まさか山形県の奥地にある小さな村を自らの故郷のように感じる日がくるとは、思いもしなかった。

飯豊連峰が連なる絶景の麓には、豪雪地帯という地域の厳しい特色ゆえ、互いを思いやり暮らす、人々の純真な「真心」が根付いている。

人生の多くを素直になれず、シニカルな態度で生きてきたアダムの価値観は、大きく塗り替えられた。そう、心の故郷へ帰ったかのように…。

そしてアダムは、古くから続く持続可能な暮らし、コミュニティの強さという、今こそ世界が学ぶべき、里山の貴重な知恵を見出す。60歳を超え、それを世に伝えることが彼の人生の使命となった——。



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見渡す限りの柔らかな緑。穏やかに連なる山々の麓には、豊かな田園が広がり、私の大切な友人たちが暮らす。何十年も前から変わらない、日本の里山の風景だ。

24歳で初めてイギリスから来日した時、まさか日本の小さな村を自らの故郷のように感じる日がくるとは、思いもしなかった。

しかしここ、山形県飯豊町は、今や私にとって故郷であり、インスピレーションの源であり、人生の使命を果たす場所だ。

日本の里山には、世界を魅了する絶景と、古くからの暮らしの知恵が根付いている。世界が変化の渦中にある今こそ、里山の人々が大切にしてきた知恵を次世代へとつなぎたい——。


日本の里山とつながるまで


山形県飯豊町にある、白川ダム湖

イギリスの地方で生まれ育った私、アダム・フルフォードが、英語教師として初めて来日したのは、1981年、バブル時代が始まろうとしていた時だった。

東京に暮らし始めると、カツ丼を始めとした日本の食事、日本語を学ぶための漫画、移住した先の鎌倉の美しい桜など、日本文化の虜になった。

来日後まもなく、兄が勤めていたNHKのラジオ番組などで英語ニュースの編集やアナウンスなどを手がけるようになり、85年には、日本で番組の台本の編集・翻訳を主とする会社を起業した。


そんな都心中心の活動が大きく変わったきっかけは、2010年から審査員に任命された、農林水産省主催の「美の里づくりコンクール」だ。

このコンクールは、日本の美しい農山漁村の景観や資源を保全・形成している活動を表彰するもので、審査員になってからは、沖縄から北海道まで、日本各地の里山を訪れることになった。


驚いたのは、日本は小さな島国であるにも関わらず、地域によって景観が大きく異なり、実に多種多様な文化が根付いているということ。豪雪や台風など、地域特有の厳しい環境の中で、今日まで持続してきたコミュニティの強さと暮らしの知恵に、世界が学べるものがあると感じ始めたのも、この頃だったかもしれない。


中津川との出会い


審査員として訪れた日本の農村はどこも美しかったが、多くの地域が過疎化に苦しんでいた。NHKの番組台本などで、地方の高齢化や人口流出について読んではいたが、地元の人々の尽力にも関わらず、今にも消えてしまいそうな集落が数多くある現実を目の前にして、心が痛んだ。

自分の経験を活かし、何かサポートできればー。

そう考えていた時に縁がつながったのが、山形県飯豊町の中津川地区だった。

中津川は、山々の後ろに飯豊連峰が霞んで見えるその類まれなる景観と、豪雪を生かした冬場と夏場の雪まつりなど、自然を生かした地域づくりが評価され、2014年に同コンクールで農林水産大臣賞を受賞した地区だ。

中津川の写真 by Ito Koichiro

しかし、そんな中津川も、人口250人ほど、平均年齢60歳以上と、新しい人々との交流がなければ、いずれは消滅してしまう危機にある。

自治体は観光客や若者の誘致に前のめりで、様々な活動に着手していたが、多様な経験や専門性をもつ人物のアクセスが足りていなかった。審査を終えた後、中津川の村づくり協議会の人々から声がかけられたのには、そうした背景もあっただろう。

「中津川の魅力を外国人の方々にも広めたい。アダムさんの力を貸してもらえないでしょうか?」

私はもちろん快諾し、2014年から2年間、中津川のコミュニティコンサルタントを務めることとなった。


中津川の「心の金継ぎ」


By フルフォード海

中津川での活動を通して、私が得た気づきは計り知れない。

地域の魅力はもちろん、中津川には、接しただけで心を癒し、和ませてくれるような方がたくさんいるのだ。

そして、中津川での活動を通じて知り合ったミヨ子さんも、そんな友人の一人。彼女の庭に群生しているというヒメサユリを、外国人観光客を連れて見に行けないかとお願いしたのがきっかけだった。

急な依頼で、人種も様々な外国人10人ほどが自宅の庭を訪れたというのに、ミヨ子さんは少しも緊張せずに、庭のいろいろな場所を案内してくれたのだ。言語が通じなくても、彼女のおだやかな態度は全員に伝わっただろう。

ミヨ子さんの庭に咲くヒメサユリ By 鈴木みち

観光客を村に招待する「NowHow」実施の様子

その後もミヨ子さんは私の活動に協力的で、今や、私は彼女を「心の金継ぎ氏」と呼んでいる。

金継ぎとは、陶器などの割れた部分を輝く金で埋めて修復することだが、他人を快く受け入れる中津川の人々と向き合うと、まさに心の疲れていたり傷ついたりしていた部分が、輝くもので満たされていくように感じるのだ。

村の方々と談話の様子

イギリス人はよく皮肉屋だと揶揄されがちだが、私自身、若い頃は、決して物事を素直に受け取め、他人を思いやり行動できるような人間ではなかった。それが、この村を訪れるようになってから、人のために何かをしたいと、自然と願うようになった。

ミヨ子さんや、中津川の人々は、人間が本来もつ「真心」のようなものを私に思い出させてくれたのかもしれない。


世界が学ぶべき、里山の44の知恵


村の暮らしの写真

そんな中津川から、私が世界に発信したいと感じているのは、数百年前から存続してきた日本の里山に伝わる、持続可能な暮らし方や、生き延びる知恵(レジリエンス)だ。

日本の村は、大雪や地震、台風、津波など、地域特有の課題を乗り越えながら、厳しい環境下でも、コミュニティで協力し存続してきた。

中津川の人々が、旅行者や外国人を比較的、違和感なく受け入れてくれるのには、古くから豪雪を逃れるために宿をとってきた旅人が受け入れてきた地域の特徴も、背景のひとつにあるだろう。

日本の集落は、戦後こそ過疎化による消滅が問題になっているが、古から存続されてきたという意味では、非常に耐久性が高いと言える。それを可能にしてきた暮らしの知恵は、国内外の都市部に暮らす人々にとっても、貴重な指針となりうるのだ。

中津川の景色 by Ito Koichiro

さらに、地方には、そうした戦前から伝わる暮らしの知恵や慣習を覚えているお年寄りが、まだ数多くいる。それらを全国の90歳以上のお年寄りに聞き取り調査し、「44の失われつつある暮らしの価値」にまとめたのが、東京都市大学の古川柳蔵先生だ。

里山の暮らしの知恵をまとめたリストには、読むだけで微笑みたくなるような、温かい暮らしが反映されている。

私はこれらの項目が、現在、持続可能な地球環境のために国連が全加盟国の目標として掲げているSDGsの達成にも寄与するものと考えている。

例えば「貧困をなくそう」は、「22.助け合うしくみ」「23.分け合う気持ち」などで解決に導けるし、「つくる責任・つかう責任」は、「17.直しながら丁寧につかう」「18.最後の最後までつかう」などが貢献できる。

今、私たちが必死になって乗り越えようとしている多くの課題の解決策を、昔の人は当たり前のように行っていたのだ。

By フルフォード海


山形の奥地から「集落OS」を広げる


コミュニティコンサルタントして、地域を存続させながら、そうした里山に眠る価値を世界に広げたいと考えてきたが、当初は、自分に何ができるのか、ほとんど見当もつかなかった。

そこで、最初に始めたのは、日本人、外国人に関わらず、多くの友人たちを村に招待し、地元の人々とともに、中津川で何ができるかを考える機会を設けることだ。村を歩きまわって地元の人々と交流し、「外者」の目線から、村を活気づけるアイデアを導きだす。

これを実行してみると、意外なことに、この取り組み自体が良質な観光になることに気がついた。

「NowHow」のアクティビティで交流を深める参加者ら

私はこれを「貢献型観光」と呼び、自身の会社の資金も投じて、「NowHow (ナウハウ)」という、国内外の人々を地方に招待する活動を続けている。

「NowHow」は私が作った造語だが、「一期一会」を意味しており、何らかの導きで村を訪れ、そこで得た体験や出会いを通して、里山に伝わる日本文化の源を知ってほしいという想いがあった。

外国人に限らず、都市部の人にも、里山に根付く伝統的な暮らしや日本文化の源を知らない人は多い。地域はもちろん、未来にも貢献しながら、参加者がそれらを改めて発見できる観光を広げていきたいと考えている。

企業研修の様子

2017年には、講義を受け持っていた大学の学生たちを中津川に伝わる、「雪まつり」のボランティアとして村に招待した。活動後は学生たち自らが村に惚れ込み、毎年ボランティア旅行を企画するようになった。

ボランティア活動に励む学生たち

ボランティア活動後の休憩の様子

さらに今年は、来年に向けて、希望する外国人を村に受け入れ、英会話教室や観光施設での英語対応など、村の活動に貢献してもらう「仮村民」プロジェクトの企画が進行中だ。

こうした取り組みは、村に若い人を呼び込んで活気づけ、経済循環を生み出していく。最終的には、今までいくつか実施したこれらの活動を、どの集落も利用できるひとつのパッケージとしてまとめ、「集落OS」として、世界に広めていきたい。

OSとは、ご存じのとおり、コンピューターのオペレーティングシステムを意味し、最新のものをダウンロードすることによって、その動作がアップデートされる。

日本全国や海外にある集落も、「集落OS」の中の「貢献型観光」や「仮村民」など、様々な「アプリ」を活用することにより、自立した集落の存続につなげられる。中津川でこれらの活動を成功させ、日本や世界各地の集落に、この「集落OS」を広げてきたい。
里山のコミュニティを活性化させる「集落OS」


今は、「集落OS」の中にあるアプリ(活動)をしっかりと起動させ、問題なく機能するか実験が始まったところだ。


「未来委員会」の活動で、新型コロナウイルスを乗り越える!


飯豊町の職員らとの会議風景

しかし、COVID-19(新型コロナウイルス)の影響により、中津川の集落も、大きな打撃を受けた。

地元の温泉宿や農家のBnBは観光客が激減し、7月25日と26日に予定されていた「SNOWえっぐフェスティバル」も中止となった。毎年訪れていたボランティアや、国内外からの観光客も途絶え、外部の人を誘致できない状態が続く中、様々な企画が見合わせとなっている。

このままの状態が続けば、これまで村の方々と推し進めてきた「仮村民」や計画が頓挫しかねない。

毎年行われる雪まつり by Ito Koichiro

そこで、こうした状況を乗り越え、中津川をさらに活気ある持続可能な集落にしていくために、今、7月末までに結成されようとしているのが、地元の復興に貢献してきた内部、外部の人を交える「未来を考える部会」だ。

中津川出身の人や、外部からの視点をもつ私を含め、村づくり協議会の会長から指名された5名で結成され、村のニーズを汲み取っていく。メンバーのネットワークを活かして、さらに中津川での活動を広げていくことが目標だ。


中津川から、自走できる集落を世界へ


中津川地区にある民家 by Ito Koichiro

中津川における私の最終的な目標は、「集落OS」を含め、中津川で行う様々な活動が、持続可能なビジネスとして自走していくことだ。

中津川のような250人ほどしか住民のいない場所でも、国の補助金に頼らず、持続可能な運営を行えるようになってほしいという思いが根底にある。「集落OS」は、そうした環境づくりを進めるツールだ。

「仮村民」や「農泊英語」などの活動や、「44の失われつつある暮らしの価値」が、地元の人々の活動によって、外国人観光客をはじめ国内外の人に広く浸透すれば、中津川から世界各地の集落を活気づけることができると信じている。



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メンター:アダム・フルフォード 


イギリスの地方で生まれ、1981年に来日。1985年に会社を設立し、NHK番組「英語でしゃべらナイト」「えいごであそぼ」「スーパープレゼンテーション」などの語学コンサルタントを行う。2014年から2016年までは、山形県飯豊町のコミュニティコンサルタントとして、インバウンド観光など地方創生を様々にサポートしている。