屋久島に上陸したシドッティの記念館を建てたい!

屋久島に上陸したシドッティの記念館を建てたい!

ご支援いただいた方のお名前は、ご本人に確認のうえ館内に掲示させていただきます。

あの日かかってきた、一本の電話。
それは、新たな始まりを告げるベルだったように思う。

私たちが活動する屋久島は、多くの方がご存知の通り、世界自然遺産に登録された島だ。
樹齢1000年を超える屋久杉を観ようと、年間を通じて多くの観光客が、国内外からやって来る。
この島に降り立った人は、夢で見るかのような自然豊かさに感動を覚えるに違いない。

その自然が育まれた大地には、人が生きてきた“物語”も、もちろんある。

──300年以上前、藤兵衞という一介の島民にすぎない男が、海岸沿いの崖の上に突然現れたサムライ姿の異国人に出会った。その異国人、シドッティ神父は、鎖国の真っただ中の江戸中期、ただ一人、宣教の許しを将軍に請うため、死を覚悟して屋久島に降り立ったのだった。
やがて捕らえられたシドッティ神父と、かの新井白石が出会い、『西洋紀聞』が生まれた。

そう、多くの人が知らない“物語”が、この屋久島には、存在するのだ。

そして、2014年の夏。一本の電話が告げる。
東京茗荷谷の、切支丹屋敷跡から、三体の白骨が発見された、と。

一つひとつの偶然が、何かに導かれるかのように、“物語”は紡がれていった。

(シドッティ神父が上陸した入江)


「あなたに書いてほしい」一人の神父の想いを受け継いで


古居 智子(ふるい ともこ)は、アメリカなどを拠点に、海外で活動してきたノンフィクション作家だ。彼女と屋久島の出会いは、取材のついでに立ち寄ったことがはじまりだった。まだ世界遺産登録前のその島には、まさにニッポンの田園風景が広がっていた。牧歌的なその佇まいに懐かしさと恋しさを覚え、1994年1月、家族と移住を果たした。

(移住当時の古居と家族)


彼女の住まいの近くには、「恋泊(こいどまり)」という、なんとも愛らしい名前の地がある。ある日、古居が潮騒に誘われて海岸近くを歩いていると、浴衣姿で草刈りをしている人と出会った。声をかけて、驚いたことに、その人はイタリアからやってきた神父であった。

コンタリーニ神父は、長年、「シドッティ」なる人物を追ってきた研究者でもある。
あまりにも熱心に研究を続け、30年ほど日本国内で活動したのち、60歳で屋久島に移住し、「シドッティ記念教会」を建てるに至った。教会は、どちらかといえば、サロンに近く、写真家や編集者、アーティストなどが集い、神父の豊富な知識を求めて、対話を楽しむ人たちが多かった。古居もその一人だった。


(コンタリーニ神父を記念するアーチ)

「あなたが書くのですよ」
ある日、コンタリーニ神父は古居に告げた。あなたが、シドッティ神父のことを、書くのですよ、と。
コンタリーニ神父に残された時間はわずかであり、彼の遺志を継ぎ、シドッティ神父の知られざるレガシーを伝える人間が必要だった。

──知ってしまったからには、伝える義務がある。

古居は、コンタリーニ神父の仕事を受け継ぎ、2010年『密行 最後の伴天連シドッティ』を著した。
そしてそれから4年後、古居は一本の電話を受け取ることになる。
切支丹屋敷で殉教したシドッティ神父と、彼の世話をしていた、長助とはる夫婦のものと思われる遺骨が発見された、と。
その後のDNA鑑定の結果、遺骨はちょうど300年前に埋葬された三名のものであるということが確定された。


歴史と自然と人をつなぐ空間「屋久島シドッティ記念館」を、みんなで創りたい


これらの“物語”は、ほんの一節に過ぎず、そして、多くの人が知らない事実だ。
しかし、歴史には生身の人間が存在し、登場する一人ひとりにストーリーがある。
そこに学ぶべきものは、確かにある。

古居は、この屋久島の地に「シドッティ記念館」を設立することを目標に、新たなプロジェクトを仲間とともに立ち上げた。
日本の歴史に大きな影響を与えた出来事の発端の地、屋久島におけるシドッティの足跡をしっかりと顕彰すること。
その歴史文化遺産の価値を多くの人に知ってもらうこと。

屋久島在住の建築家であるウィリアム・ブラワーがデザインする、ぬくもりある空間で、歴史を学び、対話する。地域住民や訪問客の交流の場と時間を提供し、子どもも大人も、国籍関係なく。シドッティ神父が夢見たように、垣根のない空間でつながり合うのだ。



(シドッティ記念館の模型写真(一部))

シドッティ神父が屋久島に上陸し、捕縛されるまでの間、藤兵衛ら島民たちと過ごした時間はわずか10日ほどに過ぎなかった。しかし、言葉は通じなくとも、身振り手振りで何らかの、心温まる交流がそこにはあったと思いたい。
そして、古居にシドッティ神父のことを伝えた、コンタリーニ神父。彼が過ごしたシドッティ記念教会に今は常駐の神父の姿もなく、少し寂しくなってしまったが、かつては盛んな交流の場でもあったことを忘れたくない。

ここに、その交流の場を、新たに復活させたい!

異国人と村人との交流の一幕をメッセージ性のある“物語”として捉え、“多様性”や“融和”といったSDGsの理念に通じる現代的な課題についても発信していきたい!

そして一歩外に出れば、これまでスポットが当てられてきた「観光地」とは異なる、屋久島の里の魅力を体感できる場所を生み出したい!

(シドッティ記念館建設予定地から望む自然豊かな里の風景)

プロジェクト全体のテーマは、“歴史と自然と人をつなぐ空間”の創造だ。
その空間を、本プロジェクトに賛同いただいたみなさんと一緒に創りたいと思う。


物語を、みんなで紡ぐ


屋久島の魅力は、自然のみにあらず、そのもっと奥、歴史という物語に触れることで、より、胸に迫る感動を分かち合えるのだと思う。

シドッティ神父が、新井白石が、コンタリーニ神父が、伝えてきたこと。
この場には名を出さなかった、より多くの人たちの英知が、もたらしたこと。

それらは、一見するとただの点の連続に過ぎないかもしれない。
しかし、それを丁寧に繋ぎ合わせれば、壮大な“物語”になる。

ぜひ、「屋久島シドッティ記念館」設立プロジェクトに少しでもご興味をもっていただけたなら、参加いただき、“物語”の登場人物の一人となっていただきたいと願う。

そして、共に、この“物語”を広めていただけたら何より嬉しく思う。

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◆ プロジェクト発起団体について
NPO法人やくしま未来工房
代表:古居 智子(屋久島在住ノンフィクション作家)
当法人の前身NPOにおいて20年にわたり世界自然遺産登録地、屋久島における持続可能な社会の構築に向けてCO2フリー推進事業や環境教育、島の歴史発掘などに力を注いできました。さらに屋久島ゆかりのイタリア人宣教師シドッティの功績を後世に残し、広く島の歴史・文化を顕彰・保全する活動を推進するため、「屋久島シドッティ記念館」設立実行委員会を立ち上げ、任意団体としての7ヶ月の活動期間を経て2022年5月に新たにNPO法人やくしま未来工房を設立しました。江戸中期に屋久島に上陸し、新井白石の『西洋紀聞』の基となったシドッティの屋久島における足跡の調査研究に取り組むと同時に、ホームページや展示会開催による記念館設立のための資金集め、島内外の後援・支援・協力への呼びかけなどを積極的に推進しています。また、シドッティを訪ねて屋久島に訪れる人たちを対象に講演会や交流会を開催して、屋久島の歴史文化を発信する活動を続けています。